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百年の歴史

百年の歴史

はじまりは
宮大工

私たち菅組は、香川県の西端に位置し、燧灘(ひうちなだ)に面した仁尾町で産声を上げました。

1994年(平成6年)3代目社長菅善明の自宅改築時、「弘化5年表屋廣治」と書かれた鐘楼堂の図面が納屋で発見されました。表屋は菅家の屋号で、廣治は菅善明から4代前の先祖になります。
弘化5年はアメリカのペリー提督率いる黒船艦隊が浦賀に現れた5年前の1848年で、この時期にはすでに廣治が宮大工として働いていたことになります。

弘化五年 表屋廣治
弘化五年 表屋廣治
弘化五年 表屋廣治

時代はここから約60年下ります。初代総理大臣・伊藤博文が生まれたのと同年、明治42年(1909年)。菅米吉が香川県より大工職の鑑札(創業の証)を受けました。この大工職鑑札の記された年を菅組は創業年と定めました。

(上)旧仁尾小学校の棟上
(左)「表屋(菅組の屋号)廣治」と記された鐘楼堂(場所は不明)の図面
(中央)創業者 菅米吉
(右)明治42年発行の「大工職艦札」証書

受け継がれる技と
地域の風土を紡ぐ

創業から115年、菅組は「自らの手でつくる」ことを守り続け、建築大工をはじめとする技能スタッフを自社に抱えてきました。これは、積み重ねてきた技術を次の世代に引き継ぐために必要なシステムであり、失われつつある手の技術を後世に残すためでもあります。

かつて、この地域では家を建てる際、近くの山で育った赤松の丸太を梁に使い、社寺建築には地元のひのきを調達しました。こうして地域の木を使い、地域の人々の手で作られた建築物が、その地の風景となり、長い年月をかけて風土に根付いていきました。このような営みは、人と人の関係なくしては成り立ちません。菅組は、3代、4代と大工たちが代を重ねて従事してくれたおかげで、そのような光景の多くに立ち会い、地域の地縁の結びつきも強くなっていると感じています。

私たちが「地域の風土にあった、住む人の愛着や地域の人の誇りとなる建築づくり」「誠実に向き合い、長く使われる高品質をつくりあげていく価値観」を目指すのは、こうした地域の人々との深い関わりと、百年以上の永きにわたる歴史があるからこそなのです。

受け継がれる技と地域の風土を紡ぐ

菅組大工系譜

系譜

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